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岡山地方裁判所津山支部 平成元年(ワ)7号 判決 1991年2月19日

原告

エイアイユーインシユアランスカンパニー

被告

津山タクシー株式会社

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  被告は、原告に対し、金一億〇〇七七万〇〇八八円及びこれに対する平成元年一月二八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二主張

一  原告

1  本件事故の発生

寺本智行は、昭和六二年八月一六日午前三時三〇分ころ、同人所有の普通乗用自動車(サニーカリフオルニア岡五七と一〇三七号、以下「加害車」という。)を運転して、岡山県苫田群加茂町塔中七七番二号先路上を南から北に向かつて進行中、道路前方中央部付近を自転車に乗つて北進していた只友淳雄に加害車前部を衝突させてはねとばし、よつて同人を死亡させた。

2  責任原因

寺本は、被告に昭和六一年一月二一日に入社し、タクシー乗務員として勤務していたものであるが、本件事故は寺本が津山市上河原所在の被告の上河原車庫から苫田郡阿波村所在の自宅への帰宅途中で惹起したものであつて、以下の点を考慮すれば、加害車は寺本の所有に属するものであるが、被告は、客観的、外形的にみて、加害車を自己の運行の用に供してきたということができる。

(一) 寺本を含む被告従業員の乗務時間帯は次のとおりであつた。

<1>午前九時から翌日午前九時まで

<2>午前九時から翌日午前一時三〇分まで

<3>午前七時四五分から午後八時一五分まで

<4>正午から翌日午前六時三〇分まで

<5>午前七時四五分から翌日午前一時一五分まで

そして、それぞれ<1>勤<2>勤というように勤務時間帯に番号を付して、一定の順序で就労するよう定められていた。

すなわち、<5>勤、非番、<1>勤、非番、<2>勤、非番、公休、<1>勤、非番、<1>勤、非番、<2>勤、非番、公休、<1>勤、非番、<5>勤、非番、<3>勤、<4>勤、非番、公休と勤務して<5>勤へ戻るのである。

寺本の場合は、昭和六二年八月一一日が最初の<5>勤に当たり同月三〇日が最後の<4>勤に当たつていた。そして、問題の同月一五日は<2>勤であつた。

(二) この日の寺本の行動を、朝から順を追つて説明する。

寺本は、同日午前五時三〇分に起床し、食事をして、午前八時二〇分ころには上河原倉庫でタクシーに乗り替え、午前八時三〇分までに会社へ出頭した。そこでタコグラフをタクシーに取付け、午前八時四五分には朝礼を受けた。しばし待機した後、午前九時三〇分ころから客を乗せ、翌日一六日午前一時二〇分ころまでタクシー乗務についた。走行距離は計三二一キロメートル、客の乗車回数は三一回である。

同日午前一時過ぎ、顧客としていつも指名してくれる日下日出子を勤め先のスナツク「夕月」(津山市小田中二二一の八)から食事処「千歳」(同市北園町三六の一八)へ送つて行つた。日下が、午前三時ころまで「千歳」に居るからと言うので、寺本は日下を家まで送つて行く約束をした。

寺本が被告本社に到着したのは、タコグラフによれば午前一時四〇分ころと思われる。そこで被告本社に置いてある鍵を用いてタコグラフを外し、売上げ金と日報とともに被告本社に提出した。タコグラフは午前一時四〇分ころまで記録されているから、それから後に寺本が報告と提出にとりかかつたことは間違いない。

寺本は約一〇分かかつてこれらの残務整理をした。

午前二時前、タクシー車両を運転して上河原車庫に戻り、午前二時ころから加害車を約三〇分かかつて洗車した。そして、午前二時三〇分過ぎには上河原車庫を出発して、「千歳」に向つた。「千歳」までは至近距離である。車で一、二分しかかからない。「千歳」に着くと、寺本は勧められて日下が手をつけていない素麺を御馳走になつた。これも食べるのに二、三分しかかからない。

かくして日下を乗せて遅くとも午前二時四五分には「千歳」を出発した。「千歳」から日下宅までは殆んどいつもの帰り道である。志戸部郵便局に出る道順が少し違うだけで、方向は全く同じである。すなわち、本件事故発生時間午前三時一五分から逆算すると、三〇分前には「千歳」を出発しており、途中弥生町の津山高専官舎の近くの日下宅で同女を降ろして順調に帰路についていたことがわかる。寺本の帰路は志戸部郵便局―勝部―広域農道―高倉―野村経由であつた。

(三) 被告は寺本の保有する自家用車につき運行支配と運行利益を有していた。

(1) 被告は自家用車での通勤を承認し許容していた。

本件事故当時いた四七名の乗務員及び六名の事務員の殆んどが自家用車で通勤しており、僅かに三名が徒歩又は自転車で通勤していた。

自家用車で通勤することは、勤務が深夜に及ぶことや、バス、電車等の交通機関を利用することができないため、積極的に自家用車出勤を指導してはいないというものの、これを認めざるを得ない状況にあつた。

寺本に関しては、午後六時過ぎに加茂方面への最終バスがあるのみで、他に帰宅のための交通機関はなく、自家用車(マイカー)で帰宅せざるを得ない状況にあつた。

(2) 次に、被告は、自家用車と営業車とを入れ替えるという形で上河原車庫を駐車場として利用する便宜を与えている。この実態は本件事故当時も現在も変わらない。

本件事故当日は寺本を含め自家用車で出勤した者は四名であり、寺本が一番遅く上河原車庫に居残つた。

(3) 被告は、ガソリン代、自家用車償却費支給等の便宜を与えてはいなかつたが、公共交通機関利用のための交通費も支給せず、遠方よりマイカー通勤してくる乗務員がいることを承知のうえで就労させていた。寺本に対しては一年半もの間マイカー通勤していることを知悉し、これを前提にして就労させていた。

(4)(ア) 被告に仮泊施設(つまり、部屋とふとん。)はあつたが、従業員は殆んどこれを利用しなかつた。

仮泊施設の利用があり得るとすれば、前記の<1>勤である。

すなわち、<1>勤の場合深夜の午前二時から午前六時まで仮眠をとる勤務を九人前後するようになつていた。また、休憩は二時間だつたということである。<2>勤は午前九時から翌日午前一時三〇分まで、<3>勤は午前七時四五分から午後八時一五分まで、<4>勤は正午から翌日午前六時三〇分まで、<5>勤は午前七時四五分から翌日午前一時一五分までが勤務時間であるから、午前二時から午前六時まで仮眠をとる必要があるのは、<1>勤に限定されるのである。つまり、午前九時から翌日午前九時まで連続しての乗務は無理だから、四時間の仮眠と、二時間の休憩をとらせたのである。

そして、仮眠、休憩中の給料は支払われなかつた。<2>ないし<5>勤の勤務時間帯中に仮眠室を利用することも許されていなかつた。

この事実関係を前提にすると、被告は<1>勤の九人分のふとんを備えれば足り、予備を考慮しても二〇人分ものふとんは不必要であり、現になかつたものと思われる。

ところで、昭和六二年八月一五日の寺本の勤務は<2>勤である。勤務時間帯中の仮眠室利用は許されていないから、もし利用するとすれば勤務時間終了後にならざるを得ない。いくら勤務時間終了後の仮眠室利用が自由だからと言つて、給料も出ないのに会社で仮眠する乗務員はいない。<2>勤(<5>勤も同じ)はまだ帰宅できる時間に乗務を終える。どんなに遠くてもマイカーで帰宅することについて被告は承認しているのであるから、深夜マイカーで帰宅するのを妨げる事情は何もない。

かくして、被告は仮眠室の利用状況の把握に無関心となり、従業員は<1>勤乗務員を除き、全員いそいそとマイカーで帰宅することとなるのである。

(イ) 被告の仮泊施設には風呂も賄いの設備もなかつた。部屋とふとんだけあれば、被告として仮泊設備を整えたと言えるか極めて疑問である。腹が減つても食事ができない。

一六時間三〇分(<2>勤の場合)或いは一二時間三〇分(<3>勤の場合)或いは一八時間三〇分(<4>勤の場合)或いは一七時間三〇分(<5>勤の場合)の乗務を終えて、汗みどろになつて会社に帰つても風呂にも入れないというのでは、ふとんにも入れまい。入ればふとんは不衛生このうえない。従業員が自宅に帰つてゆつくり汗を流してから就寝したくなるのは当り前である。

(四) 被告が寺本を含む乗務員の通勤を確保するために自家用車(マイカー)通勤を必要なものとして認め、許容していたことは前記の諸事情により明らかである。

マイカー通勤の実態があればこそ被告のタクシー営業が成り立つていることは、当時も現在も変わらない。被告が寺本のマイカー運行による経済的利益を享受しえていたことは明らかである。

一方、ガソリン代支給、償却費支給という形での運行支配はみられないが、上河原車庫、本社車庫をマイカー駐車用に提供していたことから乗務員勤務時間中は各マイカーを自社敷地、社屋内に管理し、直接的に支配していたことが客観的に明らかであり、通退勤中も各乗務員を通して関節的に支配していたと言いうる(自賠法三条の運行支配は抽象的支配で足りると解すべき、現実に被告が支配することは必要ではない。)。

(五) また、寺本が日下を加害車で「千歳」から自宅まで送つた行為は、退勤途中ではあるが乗務に準ずる行為である。

すなわち、日下は被告のタクシーを頻繁に利用し、しばしば寺本を指名していた顧客である。寺本は大事な客と思い、サービスせねばと思つて上河原車庫で洗車してまで、日下を迎えに行つたのである。「千歳」での滞留は素麺を御馳走になつた二、三分間に過ぎない。いつもの志戸部郵便局に出る途中に日下宅があり、寄り道という程コースからはずれているわけでもない。

寺本が業務上必要な行為と思つて帰途に「千歳」に立寄つたこと、日下宅に寄つても帰途からはずれていないこと、客観的にも顧客の確保に有益なサービスとみうることなどにより、右は被告の業務に必要な、或いは業務に付随する行為といいうる。

このように、被告は、加害車を自己の業務に必要な、或いは業務に付随する行為に供用させていたのであり、こうした観点から加害車に対する運行供用者性は肯定されるというべきである。

3  只友の受けた損害の内容

治療費 金一〇一万二三四〇円

看護料 金九九〇〇円

雑費 金二一〇〇円

休業損害 金一五万九八八八円

治療期間中の慰謝料 金一〇万円

葬儀費用 金一〇〇万円

逸失利益 金一億〇七五五万五一一七円

但し、年収金一九四五万二九〇六円×ホフマン係数九・二一五×生活費控除〇・六

死亡慰籍料 金一七〇〇万円

その他 金二三〇〇円

合計 金一億二六八四万一六四五円

うち自賠責保険金支払額金二六〇七万六四四〇円

残金一億〇〇七七万〇〇八八円

(但し、正しくは金一億〇〇七六万五二〇五円である。)

4  原告の損害賠償請求権の取得

原告は、次のように、只友が被告に対して有する前記損害賠償請求権を取得した。

(一) 保険契約

原告は只友との間で別紙のとおりの自家用自動車総合保険契約を締結していた。

(二) 保険金の支払による権利の取得

原告は、本件事故が発生し、加害車が無保険自動車であつたので、昭和六二年一二月二五日、本件保険契約中の無保険車傷害条項に基づき、只友に対し、金一億〇〇七七万〇〇八八円の任意保険金を支払つた。

(三) そこで、原告は、商法六六二条により、右支払をした限度内で只友の被告に対する前記損害賠償債権を代位取得した。

二  被告

1  被告の存する津山市周辺は、過疎化の進む中、公共交通機関も従来より不便になり、始業時間ないし終業時間が深夜等になる職場でなくとも、大部分の従業員がマイカーによる通勤をせざるを得ないともいえるような状況のもとで、マイカー通勤の禁止は、通常の勤務の場合でも、場合によれば当人の就業の機会を奪うことにもなるし、更に、深夜等に終業時間のくる従業員に対して、常に仮眠室ないし休憩室等を利用して、公共交通機関による通勤を強制することも事実上なしがたく、結局、被告としては、マイカー通勤は望まないが、便利なマイカー通勤を望む従業員に対して、これを禁止することまではせず、駐車場については、営業車との入れ替えということで、車庫を利用することを黙認していた。

2  被告が、タクシー乗務員を含む従業員に対し、通勤にマイカーを使用することを指示し或いは奨励したことはなく、マイカーの燃料費、維持費或いは保険料を負担し、援助するなどの便宜を与えたことはない。また、被告が、加害車はもちろん、従業員車両を被告の営業その他の社用に用いたことは皆無である。

3  被告のタクシー乗務員については、営業の特質上、公共交通機関が動いていない時間に終業となる者もいたが、そのような乗務員のために仮眠室を設けており、この仮眠室は、そのような乗務員全員を収容する能力があり、かつ、入浴施設も設けていた。なお、原告の主張する、タクシー乗務員が「汗みどろになつて」帰社するというのも理解しがたいところであるが、本件事故当時、被告には入浴施設はあり、シヤワーも利用できたのであつた。食事を供する施設はなかつたが、コンロ等の簡単な調理設備はあり、簡単な食事等は自分でできるし、深夜営業の店舗も結構多くなつてきており、原告のいう「腹が減つても食事ができない」ような状況ではない。

4  寺本は、上河原車庫に戻り、当日の勤務を終了した後、加害車の洗車をし、そこから「千歳」に加害車で行つた。寺本は、「千歳」で日下から素麺を御馳走になり、その後同女をその自宅に送り、その後帰宅途上本件事故を起こした。寺本の加害車の洗車から後の行為はまつたくの私的なもので、被告の支配が及ぶものでもないし、被告が利益を得るものでもない。深夜のマイカーの洗車は禁止されていたものであり、寺本と日下の関係はまつたく個人的なつきあいで、日下と被告は特別の顧客関係にあるものではない。仮に顧客であつても、被告が顧客を個人的にマイカーで送迎することを奨励ないし指示していたわけではない(むしろ、タクシー営業をしている被告に対する背任的行為である。)。勤務を終了してから、知人に会つて食事を御馳走になり、その知人を自宅に送る行為は、被告とは何等関係のない行為である。

5  以上のとおり、寺本が通勤にマイカーである加害車を使用しなければならなかつたという事情は存在せず、当日も寄り道をして自宅に帰るべく加害車を運転したのであつて、右はもつぱら寺本の個人的便宜によるものであり、被告に運行の利益やその支配が存在したことはない。

第三当裁判所の判断

一  原告の主張1は、当事者間に争いがない。

二  被告の運行供用者性について検討する。

1  原告の主張2の冒頭のうち、寺本が本件事故当時被告にタクシー運転手として雇用されていたこと、本件事故は寺本が被告の津山市上河原所在の上河原車庫から苫田郡阿波村所在の自宅への帰宅途上でその所有の加害車を運転中に惹起されたものであることは、当事者間に争いがない。

2  甲五、一三の一ないし四、一五及び一六並びに寺本及び宮本雅史各証言並びに弁論の全趣旨によれば、被告が原告の主張2(一)のとおりの勤務体制であること、寺本は、昭和六二年八月一五日は午前五時三〇分ころ起床し、朝食後、加害車で上河原車庫に至り、そこでタクシーに乗り換えて、津山市田町所在の被告本社に出勤し、同日午前八時三〇分ころ点呼を受けた後、勤務についたこと、そして、最後の客としてかねてから懇意でありしばしば顧客にもなる日下を、同市小田中所在の同女の勤務先スナツク「夕月」から同市北園所在の食事処「千歳」まで送つた後、翌一六日午前一時三〇分過ぎころ被告本社に帰社して売上げ金を提出するなどした後、午前二時前ころタクシーを運転して上河原車庫に帰つたこと、その後、前記日下を送つた際、同女を自分の車で自宅に送つてやること、午前三時ころ「千歳」に迎えに行くこと等を約束していたことから、時間潰しの意味もあつて三〇分位かけて加害車を上河原車庫で洗車し、午前二時三〇分過ぎころ加害車を運転して「千歳」に行き、そこで素麺を食べるなどした後、午前二時四五分ころ加害車に同女を乗せて「千歳」を出発したこと、そして、同女を同市弥生町の自宅まで送つた後の帰宅中に本件事故を起こしたこと、なお、同女を送るためにいつもの通勤経路とは異なるコースを走行したが、それは若干であつて大きな違いのあるものではなかつたこと、以上の事実が認められる。

3  次に、甲五、一三の三、乙一の一ないし三、二の一・二及び五並びに寺本及び宮本各証言並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故当時被告には五〇名強の従業員がいたが、市内の数名が自転車通勤であるほかは、皆マイカー通勤であつたこと、被告としては一般にマイカー通勤もやむを得ないものとしており、寺本についても同様にこれを認めていたこと、これらマイカーについては上河原車庫及び被告本社の空いた所に駐車することを認め、また、洗車も夜は音がするので好ましくないものとはしたが、そうでない限り黙認していたこと、もつとも、被告がこれらマイカーを業務上用いることはもとよりなかつたうえ、その維持費や保険料等を支払つていたなどといつた事実も全くなく、通勤に要するガソリン代や交通費の支給もなかつたこと、また、被告には従業員のための仮泊施設があり、これは二段ベツド一二床がある洋室と一〇人分位の布団のある和室等で出来ているうえ、給湯設備や浴室・シヤワーもあること、被告はこの布団等については外部業者に定期的に消毒等させていること、そして、右仮泊施設は<1>勤務中の者や深夜勤務を終えた者その他公共交通機関が使用できない状況となつた者や疲労感のある者等が自由に宿泊できる扱いとなつており、これを利用していた従業員もいるうえ、本件において寺本が前記勤務終了後宿泊して帰宅しても、前記認定の勤務体制のとおり次が非番であつたこともあり、一向に差し支えないものであつたこと、以上の事実が認められる。

なお、甲一六並びに寺本及び宮本各証言並びに弁論の全趣旨によれば、寺本及び日下はかなり懇意な仲であり、本件以前にも寺本が同女をマイカーで送つてやつたりしていたことが認められるのであつて、寺本が本件当時同女を送つたのは個人的な情宜によるものであつたと考えるのが自然であるし、また、こうして人をマイカーで送ることは被告の収益の機会をそれだけ奪うことになり、被告にとつて好ましくない事柄ともいえることなどからすると、本件における寺本の日下を加害車で送つた行為が被告の業務に必要な行為であるとも、業務に密接に関係した行為であるともいうことはできないし、したがつて、被告が自己の業務に必要な行為とか、業務に密接に関係した行為のために加害車を使用させていたということもできないというべきである。

4  ところで、一般に従業員は勤務時間を離れれば使用者の支配監督を離脱し、以後は自己の私的な生活分野であつてその自由に委ねられるのであり、その行為の責任も従業員が負担するのが本筋である。しかして、寺本は本件事故をその勤務時間外においてマイカーで惹起しているのであるから、その責任は先ず以て同人が負うべきものである。もつとも、本件事故が交通事故であるために、加害車につき被告に運行供用者性が肯定できれば被告も自賠法上の責任を負い得ることにはなる。

しかし、被告は加害車の運行供用者とは認められないというべきである。

すなわち、被告が加害車の所有者等でないことはいうまでもなく、また、加害車の運行につき燃料代や維持費・保険料等を負担していた事実はないし、加害車を被告の業務ないしはそれに密接に関係した事柄に使用していた事実も全く認められない。被告は加害車の駐車するスペースを提供し、洗車もある程度黙認していたことが認められるが、これらは所詮は従業員への便宜供与に過ぎない。被告は寺本のマイカー通勤を指示命令したことはない。もつとも、これをやむを得ないものとして認めていたのであるが、一方、被告は従業員の円滑な服務のために前記のような仮泊施設を設けていたのであり、これの利用は偏に従業員の自由な判断によるものであつたといえる。こうしてみると結局、寺本の加害車による通勤は自己の都合による選択の結果というべきである。以上のような事実関係からすると、本件において被告が加害車の運行を支配する立場にあつたといえる筋合のものではないと考えられる。

なお、寺本は加害車を通勤に使用することにより自己の労務を安定的に被告に供給していた訳であるが、或いは原告はこれにより被告が加害車の運行による利益を得ていたと主張するものかと思われる。しかし、そもそも従業員が自己の雇用契約上の義務である労務を安定的に提供するために、勤務先の近傍に居住するか通勤するか、通勤するとすれば如何なる通勤手段を採るか等については、使用者の指定でもない限り、従業員の自由な選択に委ねられるところである。そして、使用者としても雇用者が右契約上の義務に基づく労務の安定的供給をしてくれる限り、その方法如何は従業員の自由な選択を尊重するのが通常であろう。しかして、本件における寺本の労務の安定的供給という利益は、被告にとつては只に寺本が右契約上の当然の義務を果たしていた結果に過ぎないが、これは元来が寺本の自己決定による前記諸手段の自由な選択によるものである。仮に本件においてはこれが加害車の運行によつてもたらされたという理由で被告にとつても加害車についてのいわゆる運行利益があると捉えるとしても(このようなものまでいわゆる運行利益といえるかどうかはともかく)、もとよりそれのみで被告の運行供用者責任が肯定されるものではなく、むしろ、右のような点を踏まえて考えると、これに関する被告の指示等その運行に対する支配性が同時に明確に認められなければならないものといわなければならない。決して被告の加害車に対する運行支配性を軽んじて論ずることは許されないものというべきなのである。そして、この被告の加害車に対する運行支配性が否定されるべきものであること前記のとおりである以上、本件における被告の加害車についての運行供用者性は否定されるべきものというべきである。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点を検討するまでもなく理由なしとして棄却を免れない。

(裁判官 佐藤拓)

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<省略>

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